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2011.01.19 (Wed)

消極的価値

今、読んで売る本に「消極的価値」という言葉が出てきた。
たった何ページかの、ひとりの有機農業者が書いたことを理解しようと、何度か読み返した。
なんとなく、ここに、今私が行き詰まっている要因があるかもしれないと、思ったからだ。

近代農業は、効率性や生産性を重視し、これがいわゆる「積極的価値」なのだそうですが、農業政策もこれに沿って進められてきた。しかし、有機農業は、これとは全く違う価値を大切にしてきたものだ。例えば、真夏に草取りをしていた。汗で額もぬれ、木陰で腰をおろす。ふとそよ風が、自分を横切った。彼は、農作業のことをしばし忘れ、そよ風を満喫した。10分後、我に返るったとき、「ああ、こうしてはいられない。草を取らなければ・・・。」と思い、また、草をとる。その時の彼には、そよ風のことは頭にはない。ただ、草をとるだけ。
この風は、近代農業には、何の価値もない。確かに気分転換になったかもしれないが、このことによって、効率がよくなったわけでもないし、生産が、あがるわけでもない。むしろ、時間のロスだ。しかし、彼にとって、本当に価値のないものだったのだろうか。その時確かに風は吹き、彼は風にあたった。存在価値も使用価値もあったのだ。しかし、それを経済的価値に置き換えることはむずかしい。有機農業は、そこを大切にする農業なのだ。(これを書いた方の意図と私の解釈が違っているかもしれません。)

さて、今の私を振り返ったとき、風を感じられない自分がいることに気がつく。確かに、落穂を拾い、自然に感謝する気持ちも、もったいないと思う気持ちも、りんごの木が病気になれば、ごめんなさいと謝る気持ちもあるのだが、反面、常に効率性や経済価値を考え、農作物を物としか見れない(イコールお金)自分もそこにある。
人間だから、しかたないと言ってしまえばそれまでだが、大抵の有機農業者は、風を大事にするようです。私も全くわからないわけではないが、本当の意味でわかっていない。そんな私が、このまま、有機農業を続けていって、その真髄がわかるのだろうか。という疑問が湧いてきている。

ある人にいわれた。「あなたを見てると温かみを感じない。」(う~ん。なるほど)。またある人は、「有機農業者として、幻滅した。」(そうだよな。)またまたある人は、「忙しくて、感じる余裕がないんじゃない。」(あっ、そうか。)人それぞれいろいろ感じて、私にいってくれた。ありがたい。多分全部あっていて、それが今の自分なのだと思う。

これを読んで感じるものがあった人は、メッセージを下さい。
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